小枝と子どもと遊びと世界
2020年 07月 23日
最近のまめとっこのようちえん。
時々こんな姿が見られます。
これとセットで見られるのがこちら。
ノコギリを握る子どもたち。
自分の今の力で切れるかどうかの絶妙な太さの小枝を拾って、ノコギリを動かして。
程よい長さに切れたらその先をナイフで尖らせます。
年長みのりさんたちは、自分で。
年中わかば・年少つぼみの子どもたちは、大人やできそうな人に頼んで。
これを鉛筆がわりにして、地面に絵を描いて遊んでいます。
友達と物語を語り合いながら絵をつなげていったり、お絵描きクイズをしたり。
先を尖らせた小枝で描くと、線が鮮明になって、細かいところまで描けるんだよね。
室内で活動することもありますが、ほとんどの日を野外で過ごすまめとっこの子どもたち。
森には、一目で遊具とわかるものはないし、だれが見てもキラキラと輝いているような、子どもならずとも目を惹かれるようなおもちゃやカラフルな鉛筆や紙やプラスチック製の便利な材料などはありません。
(古民家にはあるよ!素朴なものだけど)
「ない」ものばかりを見て、
「ない」ことに焦点を当ててしまうのはもったいない!
「ない」に焦点を当てていると、「ある」ものが見えなくなってしまうんじゃないかな。
(あ、やだこの言葉、書いてる自分に超刺さる!)
自分の価値観や見方は、ひとつの例。
他の価値観や見方も世の中には存在する。
それも、自分に縁のないような遠くにあるのではなくて、実はすぐ近くにあるのかもね。
友達、家族、子ども、そして、自分のなかにも。
見ようとすれば、いつでも見えるんだろうな。
そうしたら、いつでも世界は広がるし、自分の目で見ている世界もいつでもキラキラとカラフルになるんだろうな。
そして、その世界はやわらかくやさしいのだろうな。
ちょいとひょんなことから傷ついているわたくし…ブログを書きながら、思わぬところに着地してこの投稿をフィニッシュしまっす!
(文・写真:代表ちほっち)
時々こんな姿が見られます。
これとセットで見られるのがこちら。
自分の今の力で切れるかどうかの絶妙な太さの小枝を拾って、ノコギリを動かして。
程よい長さに切れたらその先をナイフで尖らせます。
年長みのりさんたちは、自分で。
年中わかば・年少つぼみの子どもたちは、大人やできそうな人に頼んで。
これを鉛筆がわりにして、地面に絵を描いて遊んでいます。
友達と物語を語り合いながら絵をつなげていったり、お絵描きクイズをしたり。
先を尖らせた小枝で描くと、線が鮮明になって、細かいところまで描けるんだよね。
室内で活動することもありますが、ほとんどの日を野外で過ごすまめとっこの子どもたち。
森には、一目で遊具とわかるものはないし、だれが見てもキラキラと輝いているような、子どもならずとも目を惹かれるようなおもちゃやカラフルな鉛筆や紙やプラスチック製の便利な材料などはありません。
(古民家にはあるよ!素朴なものだけど)
「ない」ものばかりを見て、
「ない」ことに焦点を当ててしまうのはもったいない!
「ない」に焦点を当てていると、「ある」ものが見えなくなってしまうんじゃないかな。
(あ、やだこの言葉、書いてる自分に超刺さる!)
自分の価値観や見方は、ひとつの例。
他の価値観や見方も世の中には存在する。
それも、自分に縁のないような遠くにあるのではなくて、実はすぐ近くにあるのかもね。
友達、家族、子ども、そして、自分のなかにも。
見ようとすれば、いつでも見えるんだろうな。
そうしたら、いつでも世界は広がるし、自分の目で見ている世界もいつでもキラキラとカラフルになるんだろうな。
そして、その世界はやわらかくやさしいのだろうな。
ちょいとひょんなことから傷ついているわたくし…ブログを書きながら、思わぬところに着地してこの投稿をフィニッシュしまっす!
(文・写真:代表ちほっち)
by mametokko
| 2020-07-23 16:48
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