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3月10日 脱原発のスピーチ

ちょっと長いですが、原稿を転載しておきます。
世界平和が究極の夢で、そのために生きていきたい私にとって、森のようちえんは、平和活動でもあります。

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 あの、大きな大きな出来事…3月11日の東日本大震災と原発事故から、明日で2年になります。犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、今も3.11以前の暮らしを取り戻せないでいるすべての方に、心からお見舞い申し上げます。


 2年前のあの日、私は西区の太光寺にいました。高台にあって、広島の町と瀬戸内海を見渡せる気持ちのいい場所です。そこで森のようちえんの講演会があり、森のようちえんや自然派の子育てに興味のあるお母さんたちと一緒にいました。

 森のようちえんというのは、身近な自然の中で子どもの育つ力を信じて見守る保育の場です。この2月に5歳になった長男が6ヶ月の頃、当時住んでいた愛知県春日井市で森のようちえんに出合い、それからずっと森のようちえんで子どもを育ててきました。2010年9月にふるさとの広島にUターンしてきてからは、広島でも森のようちえんで子育てできるように仲間探しを始めて、「森のようちえん まめとっこ」という小さな手作りの森のようちえんを始めました。3月11日のあの日は、愛知でお世話になった知人を講師として招いて、森のようちえんの講演会をしていました。

 森の中で、友達とともに土や木や葉っぱ、水や生き物と存分に触れ合って、ぶつかり合いも経験しながら思いっきり遊ぶことが、どれだけ子どもの心と身体を育て、人生を幸せに生き抜くための命の根っこを太く確かなものにしてくれるか。そんなことをたくさんのお母さんたちと考え合っている最中に大震災が起きたということを、夕方になって初めて知りました。繰り返し流される大地震と津波の映像。怖くて信じられなくて、胸が締め付けられる思いでした。原発が安全に停止したというニュースには、少しだけほっとする思いがしました。

 その原発が爆発したのを知ったのは、3月12日の夕方、講師として来てくれた知人を新幹線の駅に送っていった帰りの車の中でした。子どもを後部座席に乗せて運転しながらラジオのニュースを聞いて、頭を殴られたような衝撃とともに、「あぁ、終わった」と目の前が真っ暗になったあの瞬間を、忘れることができません。


 3.11以前から上関原発建設計画に関心があって、原発のことを調べたり考えたりする中で「大地震が起こったら危険だ」と聞いていたし、自分でも言葉にして発していましたが、今思うと、まったくリアルには考えられていませんでした。放射性廃棄物や環境への影響のことばかり考えていて、事故で放射能が撒き散らされることはほとんどあり得ないと思っていました。原発に対して、相当な問題意識と危機感を持っていたつもりだったけど、ぬるかった。甘かった。想像力が本当に欠けていたと思います。そして同時に、あの頃はなんて平和で幸せだったんだろうと思えます。まさか、自分や子どもたちがほんのわずかでも日々放射能と出合ったり口に入れたりすることが現実になるなんて、思ってもみませんでした。もう、本当に、あの日を境に世界が変わってしまったのですね。

 でも、あれからようやく原発が全部止まって、これから廃炉、脱原発が始まると思ったのもつかの間、原発が再稼動され、これからもなし崩し的に再稼動が狙われていると聞きます。どうしてそこは変わらないのか。不思議で、悲しくてたまりません。どうして、まだ原発を動かして核の危険やゴミの問題を積み重ねていこうとするのでしょうか。一体誰のための、何のための原発なんでしょうか。


 2年前のあの日から、私の心の中に常に、強く強くあること。それは、広島にいる私も当事者の一人だということです。原発がぐるりと取り囲んでいる日本。地震大国日本。今回はたまたま福島だっただけ。今もまだふるさとに帰れずにいるあの人は、私だったかもしれない。爆発してしまった原発で今も命を削りながら危険な任務についてくださっているあの人は、私の子どもや主人だったかもしれない。日々、放射能に汚染されているかもしれない食べ物や飲み物を口にして、毎日ちょっとずつ内部被ばくしているかもしれないという意味でも、私も、5歳の長男も7ヶ月の次男もどうしようもなく当事者です。私は「被爆3世」でしたが、今は被ばく者です。祖父が原爆に遭っていますが、どうして私の大事な人の頭の上に原爆を落とせたのか、腹が立つというか何とも言えない気持ちになりますが、でも私たちの隣には原発がつくられてきました。平和な、冷静な、科学の顔をして。これをどう考えていいのか私にはまだ分かりません。

 また、放射性物質がたまりやすいのは、土や葉っぱや草むらや水。私たちが生きていくのに一番大切なものが、一番に汚染されるのが原発です。地域の自然を生かす有機農業をしている主人にも、自然の中で森のようちえんに取り組む私にも、遊び盛りの子どもにとっても、原発は生きがいや生きる術を奪い去る、恐ろしく強大なリスクです。

 福島の森のようちえんの仲間が言っていました。福島の子どもは外で遊べない。線量の低いところに連れていって外遊びさせてあげる活動をしているけれども、そういうところに行ったら、「ここは息を吸ってもいいところですか」「葉っぱを触ってもいいですか」と聞くそうです。そして必ず走り回るのだそうです。走ることさえできていないということなんです。子どもは本当に好奇心が旺盛で、葉っぱも木も土も何でもおもちゃになります。私自身も、草花や葉っぱ、身の回りにあるものすべてで遊んできました。それなのに、葉っぱを触ってもいいですか。…私たちはどうしても、原発と共存していくことはできません。


 広島も、島根原発・伊方原発・玄海原発が近くにあり、さらに上関原発までつくろうという動きがまだ続いています。みんな、福島のことがあってから気づいたはずです。口に入るものにも気を遣っていたはずです。でも、時間が経つにしたがって情報があまり出なくなってきて、また原発や事故について口に出すのがためらわれるような雰囲気に戻ってしまいました。私も実はそうです。浮きたくないし、恐怖に支配されたくありません。だけど、やっぱり、守りたい存在があるから、私は自分から動いて、声に出して発信していきます。そのことを、今日ここで、改めて誓います。

 そして、毎日隣で寝て起きてご飯を食べて笑って泣いて怒って遊んでまた寝る5歳の長男、寝て起きておっぱいを飲んでちょっとだけ遊んですぐ泣いてまた飲んで寝て…上の歯がのぞいてきた7か月の次男。毎日、命に書き込まれたプログラムに忠実に成長している可愛くてたまらないこの人たちを、お金や便利さや効率じゃなく、人と愛し合うこと、分かち合うこと、自分と周りの命を大切につながり合うこと、野の草を摘んで食べたり、土や木や生き物に触れて生きることが当たり前の価値観の人間に育つように。自然を破壊したり、人とのつながりを破壊したり、自分たちばかりか未来に生きる人たちの暮らしや命を脅かす原発に、当たり前に「NO」と言えるまっとうな価値観をもった人に育てること。私たち母親には、その責任、使命があります。


 「もう真っ暗だ」と思った世界には、相変わらず太陽の光が届き、雨も降り、春夏秋冬がやってきて、今は冬の間土の中で力を蓄えていた雑草が、春を祝うように大地から沸き立つように命いっぱい萌え出ています。私たちも希望をもって、原発のない春を祝えるように、力を備えていきましょう。当たり前の営みの中で生きていきましょう。原発には私たちの世代でさよならをすると誓い、一歩ずつ行動していきましょう。
by mametokko | 2013-03-13 22:16 | 代表ちほっち通信 | Trackback | Comments(0)

広島市安佐南区大塚・伴地区の森や菜園で活動中!「お母さんである私」を大切に思えるようになる共同保育の森のようちえん&認可外保育施設。子どもも大人も仲間とともに自然のなかで遊び学び自分を生きる。ようちえん/親子組/おさんぽ会などなど展開中!森の子育ち・親育ちのエッセンスをお届けします。


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